2012年3月1日木曜日

エジプト_Egypt

エジプト
砂でかすんだCairoからGizaへ。
街の家々の向こうにPyramidが現れた時には、不思議な感情が走った。
紀元前3000年と今とが同時に重なる光景、あのPyramidに出会えた自分。なにか、瞬時に宝物を得たような、悪い事をしたような、そんな気分になった。

ホテルの部屋からもPyramid!
すっかり、仕事のことなど忘れて、興奮の日々が始まった。
次の日、考古学博物館、ガーマ・ムハンマド・アリ、三大Pyramid、Sphinx。

KhufuのPyramidの中に入り、そして、今では考えられないが、登った。
石の大きさにびっくりした。身長近くまであった。
右足の先をなんとか石の上に届け、両腕の力で体を持ち上げる。
それを何回も繰り返して、やっと10個くらいの石を登った。
振り返った。今まで上った石が全く見えず、足下の石の向こうには砂漠しかなかった。
その恐怖は覚えているが、後のことは覚えていない。
でも頂上の石は、ここにある。

興奮は収まらなかった。その夜には、Sphinxの前で酒盛り。徹夜した。
Napoléon Bonaparteを思った。



Gizaから列車でLuxorへ。
Nileの両側だけに緑地が続き、その向こうには砂漠が延々と広がる。
ルクソール神殿、アメン大神殿、カルナック神殿。
ParisのPlace de la Concordeと一対だったobeliskと大量のSphinxが印象深い。
Marie Antoinette を思った。



馬車に乗り、Nileを船で渡り、西岸の石と砂の世界へ。
メムノンの巨像、クルナ村、ハトシェプト女王葬祭殿、そして王家の谷。
ツタンカーメンなど沢山の墓の中に入った。
時間を超越した空間を歩いていた。
ハトシェプト女王葬祭殿のフランスによる修復ミスが残念。
やせた犬に数匹会った。どこで暮らしているのだろう?


帰りの船で、子供たちと仲良くなり、
サッカーを一緒にやった。彼らは裸足だった。
彼らはバクシーシと言わなかった。
サッカーボールと靴を贈る約束をしたが、未だに実行していない。

茶色い水と湯のホテル。夕陽は砂漠に沈んだ。
ナイルのカラフルな魚の夕食は残した。

カイロに戻り、デンデラへ。
デンデラには、Cleopatra VII Philopatorが生きたプトレマイオス朝時代に再建されたハトホル神殿がある。ハトホル女神が刻まれた列柱、天体図など。しかし、顔やcartoucheなどが剥ぎ取られている。いつの時代かの争い?ハトホル女神=ギリシャではヴィーナスだった。美しすぎるから?
南壁面には巨大なCleopatra VII Philopatorのレリーフがある。
Julius Caesarとの間に生まれたプトレマイオス16世カエサリオンと並んだ姿は、
今も太陽を浴びる唯一のCleopatraだ。美しい。

サッカラのピラミッド・コンプレックスの砂は、どこも灰に近かった。
階段ピラミッドの石は、死の間際の土井さんの再帰を願って成田に持参した。

旅の最後は、タクシーをチャーターしてCairoからSuez Canalへ。
信号のない街をヒヤヒヤして通り抜け~砂の間をただただ車が移動し~スエズ運河に到着。
日本の船も見た。シナイ半島は目の前だった。
陽気なご夫婦と出会い、何回か文通もしたがもう途絶えている。

帰りの暗くなりはじめた砂漠の真ん中で車を停めてもらった。
外に出た。砂漠と空以外に見えるものは何もなかった。
生命や時間を克服し、永遠を求めた古代エジプト人の心が今も生きている気がした。
砂の起伏は、肉体と精神が合体し再生しようとするパワーかもしれないと。
でも、ここで降ろされたら生きられないと恐怖に襲われた。車に戻った。


成田空港に着くと通路に「迎えに来ています」との張り紙。「エッ?」
その夜、Ramesses IIと化した自分が、NefertariやNefertitiのことを語ったかどうかは覚えていない。

現在、家の中にあるエジプト。
エジプトコーヒーはコレで/大理石の小ピラミッド
エジプトの石
クフ王のピラミッド(ギザ)/ジェセル王の階段ピラミッド(サッカラ)/王家の谷/クルナ村(ルクソール)/ハトシェプト女王葬祭殿(デルエルバハリ)/ハトホル神殿(デンデラ)