2010年12月23日木曜日

father_mother

今日も月に照らされる幻想的なシーンから朝が始まった。
mt.FUJIが鮮明。Japanese Alpsの峰々も現れた。
mt.FUJIfatherとしたら、Japanese Alpsmotherだ。
(ちょっと撮影が早すぎた。どんどん鮮明になってくる。)
mt.FUJI=father

Japanese Alps=mather
今日は天皇誕生日。陛下は、喜寿に当たる77歳の誕生日を迎えられた。
fatherのことが浮かんできた。


fatherは今の私の年齢の頃、胃や膵臓などの癌を患った。
キリスト教徒ではないが、姫路聖マリア病院に長期入院していた。
1年あまりmotherが付き添った。
当時私は、新橋の会社に勤務していた。
金曜日の夜に東京駅から新幹線で姫路へ。
姫路で花を買って病院へ。
日曜日の朝、アナゴ寿司を買って東京へ。
月曜日に会社出勤。
何十回目かの時、
体のあちこちのパイプから大量の濃い緑色の液体が流れ出た。
fatherに死が宣告された。
その瞬間、泣くだけの家族を残して、motherは病室から私を連れ出した。

誰も居ない広い待合室のイスに腰掛けた。
fatherはまだ生きている。」
「まだ泣いてはいけない。」
「もう一度息を吹き返して欲しいと願え」と。
「fatherがもうこの世に必要ないならこのままで」と。
正反対の2つの祈りを2つの心で繰り返した。
それから、どれくらいの時間が経過したかは記憶がない。
兄が2人を迎えに来た。

入院から通院に変わった。
誰もが病名を隠し、重苦しい時間が続いていた。
ある時、何かでfathermotherがもめていた。
私は、癌だと知らなかった父に癌だと伝えた。
fatherは口数が少なくなり、私は親族から度々責められた。

あれから30年あまり。
大正15年生まれの84歳のfather・晃一郎は、
現在も兄と商売をしながら元気に生きている。

motherと私のあの時間は、motherと私しか知らない。
今日は、静岡のお茶と塩羊羹、ロマネスコを故郷に送ろう。