mt.FUJIが鮮明。Japanese Alpsの峰々も現れた。
mt.FUJIをfatherとしたら、Japanese Alpsがmotherだ。
(ちょっと撮影が早すぎた。どんどん鮮明になってくる。)
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mt.FUJI=father |
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Japanese Alps=mather |
fatherのことが浮かんできた。
fatherは今の私の年齢の頃、胃や膵臓などの癌を患った。
キリスト教徒ではないが、姫路聖マリア病院に長期入院していた。
1年あまりmotherが付き添った。
当時私は、新橋の会社に勤務していた。
金曜日の夜に東京駅から新幹線で姫路へ。
姫路で花を買って病院へ。
日曜日の朝、アナゴ寿司を買って東京へ。
月曜日に会社出勤。
何十回目かの時、
体のあちこちのパイプから大量の濃い緑色の液体が流れ出た。
fatherに死が宣告された。
その瞬間、泣くだけの家族を残して、motherは病室から私を連れ出した。
誰も居ない広い待合室のイスに腰掛けた。
「fatherはまだ生きている。」
「まだ泣いてはいけない。」
「もう一度息を吹き返して欲しいと願え」と。
「fatherがもうこの世に必要ないならこのままで」と。
正反対の2つの祈りを2つの心で繰り返した。
それから、どれくらいの時間が経過したかは記憶がない。
兄が2人を迎えに来た。
入院から通院に変わった。
誰もが病名を隠し、重苦しい時間が続いていた。
ある時、何かでfatherとmotherがもめていた。
私は、癌だと知らなかった父に癌だと伝えた。
fatherは口数が少なくなり、私は親族から度々責められた。
あれから30年あまり。
大正15年生まれの84歳のfather・晃一郎は、
現在も兄と商売をしながら元気に生きている。
motherと私のあの時間は、motherと私しか知らない。
今日は、静岡のお茶と塩羊羹、ロマネスコを故郷に送ろう。